「母の友」2016年1月号の記事を転載してお届けします。「母の友」は、園や家庭で、子どもたちとの日々がもっと楽しくなるような「子育てのヒント」と「絵本の魅力」を毎月お伝えする雑誌です。
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どうしておばあさんを主人公に?
園で大人気の「ばばばあちゃん」シリーズ。元気いっぱいのおばあさんが主人公です。でも、どうして おばあさんを主人公に?
「ばばばあちゃん」に込めた思いを、作者のさとうわきこさんに聞きました。
――どうして、おばあさんを主人公にしようと思ったのですか?
お母さんって、わりと現実的な世界にいるじゃないですか。
それに比べると、おばあさんって、長生きしてきている分、いろいろな経験をしている。
少し不思議な話 とか、嘘のお話も、私たちが知らないだけで、そんなことが実際あったのかなと思わせられると思ったんですよ。
だから、お話の主人公にしやすかったというのもあるんじゃないかな。
実際、私の母は、父が早くに亡くなったこともあって、目の前の生活をどうにかしなくてはという、すごく現実的な世界で生きていました。
私が、おじいさんおばあさ んの年齢の人と初めて生活するようになったのは、結婚して東京から長野にやって来てからです。
私の夫の祖母 は、百歳まで生きたんですが、やっぱりどこか不思議な雰囲気があって、魔法使いみたいだなと思っていました。
そのおばあさんの息子、義父は今97歳で、一緒に暮らしていますが、毎日、表のリンゴ畑で仕事していて、すっごい元気なんですよ。
東京と長野の違いということもありますが、生活のリズムみたいなものがまったく違うんですよね。
ばばばあちゃんを書いたのも、こっちに 来てからだと思うから、やっぱり、そういうおばあさんおじいさんと一緒に暮らしてきたことも、影響しているんだと思います。 東京にいて、そういう経験をしてなかったら、おばあさんの話を書こうと思ってなかったかもしれないです。

――ばばばあちゃんの魅力の一つが、あのたくましさだと思います。それも、実際に感じていたことだったのでしょうか?
そうですね、おばあさんってたくましいなとは感じていましたね(笑)。
百歳まで生きたという年齢のこともそうですが、一緒に暮らしていたので、何かあったとき に、「そんなの適当にやってしまえば大丈夫だ」という感じで乗り切っちゃうんですよね。
そのたくましさって何だろうと考えると、やっぱり経験によるものが大きいのかなと思います。
それは個人としての経験だけじゃなくて、昔ながらの生活を今も守っているから、土地に受け継がれていっているものも、おばあさんのなかにある。
たとえば、ここの人たちは、 お祭りとか季節の行事に熱心なんですが、そうした習慣も、おばあさんやおじいさんが、下の世代に何かうるさく言うわけじゃないのに、自然に経験として受け継がれていっている。
東京の、地域のお祭りなんてそんな に盛んじゃなかったところで育った私からすると、お祭りの準備とか、なんでそんなに熱心になれるのかって思うくらいですが、たくましさとかは、こうしたところからも生まれてくるのかなと思います。

(かがくのとも1987年3月号。ばばばあちゃんのお料理シリーズ)
――ところで、『よもぎだんご』で、ばばばあちゃんの誕生パーティーをやりますが、年齢を聞かれてはぐらかしていますよね。ばばばあちゃんって、いくつなんですか?
年のことはそんなに考えたことなかったなあ。
でも、 最初に書いたときは、50以上とは思っていたかな。
自分が70を超えた今あらためて考えると、60以上じゃないかという感じはしています。
あんまり年寄りだと、てきぱきできないから、70は行ってないと思うけど。
作るお料理は、よもぎだんごとか、わりと昔のものが多いですよね。
私が子どもの頃に母親が作っていたようなものを受け継いでいるところもあって、そう考えると、結局、自分の経験から出てくるんだと思います。
――その他、ご自分が投影されていると思うようなこと はありますか?
ばばばあちゃんって、思ったことをひょいっとやっちゃう人ですよね。
私も、子どもの頃からわりとすぐに行 動するタイプだったんです。
およそ女の子らしくなくて、 正直、男の子になりたいなあとずいぶん思っていたくらいで(笑)。
小学生くらいの頃かな、家の裏に屋根までのびた樫の 木があって、そこに登って、枝から屋根に飛び移って、 遠いところを眺めるのが好きで、毎日のようにやっていました。
その風景はよく覚えていますよ。
西の方に富士山が見えて、その稜線に夕陽が沈んでいくまで眺めているの。
そうすると、母親があぶないから早く降りてきなさいってしょっちゅう言いに来るんだけど、降りられるから大丈夫なのに、うるさくてしょうがなかった(笑)。
姉がおしとやかなタイプだからまったく正反対で、私は見たいものは見るんだ、やりたいことはやるんだという感じでした。
近所の人もあきれていたんじゃないかな。

(こどものとも1991年4月号・シリーズ第6作)
――屋根に上って遠くを眺めるのが好きというお話は、まるで『やまのぼり』みたいですね。
そうそう、ばばばあちゃんもやっていましたね(笑)。
それから、ばばばあちゃんを書き始めたときには、社会の中での女性の地位向上を目指すような、政治的な運動にも興味があったんですよ。
それほどきちんと考えたわけではないですが、女性は、主に家のことをやっているけれど、社会から切り離された存在ではなく、男性と同じように、物事を考えたりしている。
そうした思いが どこまで出ているかわかりませんが、ばばばあちゃんを書いているときに考えていたことは確かです。
――確かに、ばばばあちゃんの活躍は、生活の中でのことが多いですよね。全然違う世界の、たとえばファンタジーのようなものを書こうとは思わなかったのです?
まあ、舞台は割と現実的なところのものが多いのかな。
なぜかってあまり考えたこともないですが、もしかすると、自分が生きている現実の世界が面白かったからかもしれないですね。
だから、私自身、空想のようなものに頼るということもなかったのかなあ。
それでも、現実には、暮らしの中で苦しいことっていっぱいありますよね。
私もそういう場面に出くわしたことは何度もあって、もう苦しくて死にたいと思ったこともありますよ。
そういうとき、心に「隙間」みたいなのが、あるといいんですよね。
あまり物事に対してきっちりしすぎ ていると苦しくなるけど、 その「隙間」があると、ち ょっと余裕を持てて、また気持ちをひっくり返して、再出発できるんだと思います。
ばばばあちゃんって、そういう「隙間」をもった存在、 私にとっては、こうなれたらという一つのあこがれでもあるんですよね。
「隙間」があるから、こいぬとかこねことか子どもたちも、こんないい加減でもいいのかなと親しみを覚えて、自然と寄ってくる。
一緒にいてほっとできる存在というか。
いい加減でいいってことは、ごまかしじゃないかと言われればそうかもしれないけど、ごまかしができるうちはそれでいいんだと思うんですよね。
――わきこさん自身、年をとって変わってきたなと思うことはありますか?
それは、ありますよ。
体も若い頃のようには動かないし、頭もいろいろ忘れっぽくなって、つくづくやだなと思います。
何か忘れものをとりに行ったのに、そこに今度は別の物を忘れて置いてきちゃったり。
もどかしいですよ。
でも、うちのおじいさんは、さっき言ったように97ですが、見ているとすごく楽天的というか、少しくらいのことを忘れたり、できなくても、まあ、今日を過ごせればいいかって感じがして、一緒にいる私もずいぶん 救われていると思います。
何だろうな、たぶん、自分が死ぬことなんて考えてないような人ですよ。
私なんか、今描かなきゃ、言いたいこと言っておかなきゃ、みたいな焦りがありますが、そんなのないですよね。
今それで、実は、じじじいちゃん、じゃないけど、おじいさんの話を書いているんです。
うちのおじいちゃんも、 確かに楽天的に見えるんだけど、兵隊で南洋諸島にも行っているし、奥さんも30年以上前になくしているし、結構つらい経験をしてきているはずなんです。
でも、いつもにこにこしていて、すごいなあって思って。
絵本では、直接うちのおじいちゃんを描くわけじゃないですが、いろいろ刺激を受けています。

――今、ご興味のあるものはなんですか?
石を拾うのが好きなんですよ。
ただの、一銭にもならない、どうってことない石なんですけどね。
きれいな石が落ちているのを見ると、それだけでいい気持ちになれるの。
今度も、富山県の海岸に、いい石が落ちているって聞いたんで、行こうと思っているんです。
でも、どこでもきれいな石って落ちていて、すぐに、わあ、って拾いたくなるんで、荷物が重たくなっちゃって困るんですけど(笑)。
そうやって、若い頃ほどではないけど、今でもいろいろなものに好奇心を持って、暮らしていますよ。
だから、 気分としてはそんなに年をとってなくて、若いんです。
それに、年をとっても、私自身であることに変わりはないと思いますしね。
(まとめ・編集部)
さとうわきこ
東京都に生まれる。デザイン会社勤務後、フリーのイラストレーターのかたわら「母の友」で童話を執筆し、のちにその一編を元 に絵本第一作『せんたくかあちゃん』を発表(「こどものとも」 1978年8月号、現在こどものとも絵本)。以後数々の絵本を手が け、本作を含む「ばばばあちゃん」シリーズや「せんたくかあちゃ ん」シリーズ、『おつかい』『あめふり』(以上、福音館書店)、『とりかえっこ』(第1回絵本にっぽん賞、ポプラ社)などの作品がある。長野県の岡谷市と八ヶ岳で「小さな絵本美術館」を主宰する。長野県在住。