堂本真実子先生の「こころが動く絵本の魅力」>

こころが動く絵本の魅力3

絵本と発達 -1・2歳、3歳はじめのころの子どもたちと絵本-


1.すべてが新鮮な出会いである時期


赤ちゃんは、生きる環境を与えられ、受け取る存在として、この世に生まれてきます。

生理的欲求と情動のままに、お腹がすいて泣き、不快を感じて泣き、お世話をしてもらって大きくなります。目があまり見えず、音が拠り所だった時期を超え、だんだんと視力が上がるにつれて、形ある世界への扉が開いていきます。

彼らにとって、世界は出会うものであり、やってくるものです。

それがいつしか、予測し、見通しを持ち、計画を立てて過ごすようになっていくのですが、小さな子どもたちが、いかに「今」を生きているか、一つの事例を紹介しましょう。

1歳3ヶ月の男の子です。

まわりにプラレールが広がっていて、その一部分が、少し高くなっていました。彼は、それを「またぐ」ことに偶然おもしろみを感じ、「せーの、またぐ~。」と、まるでジャンプをするようにその動きを楽しんでいました。

ところが3回目、足がひっかかって、プラレールが外れてしまいました。すると、彼はそのプラレールを「じーっと」と見て、プラレールを引っ張り上げ、ぶんぶんと振り回して、外し始めたのです。

見ていた私は、「またぐ」ことがおもしろいのだから、またげなかったら悔しがるだろうと思いましたが、「何これ。外れる物?」とすっかりそちらに気が向いて、意図的に外そうとする彼の姿が、とても新鮮に映りました。

成功への期待や見通しをもって向かうというよりも、起こったことに知的好奇心を誘発される姿です。

さて、彼は、ぶんぶんと塊を振り回して、ボト、ボトとプラレールが外れることを確かめていたのですが、ガッチリとはまっていて、なかなか取れない物がありました。

すると、彼は、鼻の下を伸ばしながら、指先で「つ~っ」とその縁を撫でていったのです。いったい、どこが外れる場所なのかと確かめるように。

そして、結局を振っても外れないとわかると同時に、それが大きな塊で動くことにおもしろみを感じました。そして、そのままレールのお散歩を始めたのです。彼の背丈ほどもあるつながったプラレールが、つーっと前に動いていき、彼は満面の笑顔です。

こんな彼の姿を見ていると、小さなうちは、自由に、思いのままに世界と出会ってほしいと心から思います。

2.身近な世界が十分おもしろい


1歳の子どもにとって、時間や空間は、彼の身体のそばで広がっており、なおかつ収まっています。私たちのように、外国に思いを馳せることはありません。

そうせずとも、世界は十分すぎるほど新奇性に満ちており、そこで偶発的に起こるさまざまな出来事におもしろみを感じるのです。

これは、言葉を獲得し、筋を持って世界を解釈できる入り口にいる3歳児でも同じところがあります。

彼らは、「おもしろそう!」と感じたら、あっけなくそれまでやっていたことを捨て去って、そこに集まります。4歳児から5歳児が、見通し持って、今在ることに従事する姿とは大違いです。

すこし余談ですが、いろんなことが偶発的に(大人でいえば予想外に)起こりまくる世界に生きる子どもたちにとって、とても大切なのが情緒の安定です。

「安心」してそこにいるからこそ、彼らはいろんなことが「おもしろい」と思えるのであって、そうでなければ、まわりが自分の身を危うくする恐ろしいものだらけに感じてしまうでしょう。

分からないことが次々に起こるのです。

そして、泣いたり、叫んだり、うずくまったり、噛んだり、叩いたりして、自分の身を守ろうとするでしょう。

子どもは、その方法しか持たない弱き存在でもあります。そう思うと、もっと社会が、子どものために時間とお金を使えんかなと思います。

3.1・2歳、3歳はじめの子どもたちが喜ぶ絵本


話が逸れすぎましたが、そんな1,2歳そして3歳はじめの子どもたちが大好きな絵本、『がたんごとん がたんごとん』から、この時期の子どもと絵本を考えてみたいと思います。

子どもは乗り物が大好きです。どこか未知の世界に運んでくれるからでしょうか。

この絵本は、汽車がやってきて、何かを乗せて、また進んで行くお話です。子どもたちにとって、等身大の過去、現在、未来を表す物語でもあり、物事がやって来て、それとのかかわりの中で何かが起こって、またやってくるこの時期の彼らの経験の仕方とも重なっています。

乗せる物は、どれも身近で、親しみのある物ばかりです。この絵本の人気の秘密は、暮らしのなかの心の動きをそのまま表してくれているからでしょう。

同時にこの絵本は、『三びきのやぎの がらがらどん』でもお話ししたとおり、単純な遊びの構造をしています。

「次は、何がやってきて汽車に乗るのかな」とわくわくの緊張がつり上げられ、現れたところで、解放されます。実際、0,1,2歳を対象に作られている絵本は、どれも、この単純な構造をしています。

小さな子どもたちは、分からないことだらけの世界で、ぱっと目を引くものに、およそ偶発的に出会っていますから、絵本もそんなふうに、ページをめくるごとに、ぱっと世界が現れるようなものが楽しいでしょう。

同時に、それが、きちんとわくわくの緊張と解放の経験になるように、読み手が工夫することが望まれます。そうすると、絵本は子どもたちにとって、世界の窓が開くおもしろい体験そのものになるのです。

また、小さな子どもたちが好む絵にも、特徴があります。

例えば、ディック・ブルーナのうさこちゃんシリーズは、絵が、クッキリ、ハッキリ、パッキリしています。

現実世界を、図形のように単純化したこれらの挿絵は、子どもたちに「分かりやすさ」を導くでしょう。

物語は、生活の流れのように、前に進んで行きます。ページをめくるごとに進んでいく時間が、彼らの暮らしのなかでの見方、過ごし方と似ている、というところが魅力なのではないかと思います。

一方で、「くだもの」のように、繊細なタッチによって描かれた、限りなく本物に近い美しい挿絵もあります。

身近に親しんでいる物を、日常生活の文脈から取り出して、改めて気づかせてくれるこれら絵本は、言葉を獲得していく子どもの知性に、大きく働きかけているでしょう。

4.動画に奪われる子どもの「時間」


今、さまざまなメディアによる動画が、子どもたちの時間を凌駕しつつあります。そこには、読み手と聞き手が作り上げる応答関係はありません。呼吸を合わせて、緊張と解放のリズムを楽しむということがないのです。

つまり、誰かと一緒に、穏やかな、あるいは、笑いはちきれるような幸せを味わうことがないということでしょう。

また、自分でページをめくることによって、何かが現れることを期待したり、おもしろがったりすることもありませんし、ページを戻して確かめたり、じっと気に入ったページだけを見つめることもできません。

能動性を発揮せずとも、実に手軽におもしろさが得られる楽な世界が動画です。

しかし、その傍らで失っているのは、自分で時間を紡ぐことです。

せっかく自分の時間を生きる自由があるのに、相手(製作した人)の時間枠に巻き込まれるだけの時間を過ごすのは、もったいないことです。

しかし、ご家庭の育児で、一切の動画をやめるというのは酷な面があります。夕方から夜にかけてのおよそ3時間で、料理をし、晩御飯を食べさせ、お風呂に入れ、着替えさせ、歯を磨き、寝かさなければなりません。毎回、駄々をこね、思い通りに動かない子どもたちが、少しの間でも静かになって何かしてくれないと、物事は進まないでしょう。

せめて、園にいる間は、動画など見なくて済む環境を整え、子どもの能動性を導き、だからこそ味わえるおもしろさを保証していきたいと思います。

絵本の存在は、それを支える重要な環境の一つです。

いつでも、手に取れる場所に、ちゃんと選ばれた絵本があること。

今の子どもたちに、とても求められている環境だと思います。

次回は、物事が筋を持って見え始める時期、3歳後半から4歳、5歳の子どもたちと絵本について、考えてみたいと思います。

写真のひろば(撮影:篠木眞)


「はじめてのおそうじ」

「あそびのあと」

執筆者


堂本真実子(どうもとまみこ)


認定こども園 若草幼稚園園長。東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科博士課程修了。教育学博士。日本保育学会第6代会長 小川博久氏に師事。東京学芸大学附属幼稚園教諭、日本大学、昭和女子大学等、非常勤講師を経て、現職。高知大学非常勤講師。

若草幼稚園HP内のブログ「園長先生の部屋」で日々の保育を紹介。

主な著書


『学級集団の笑いに関する民族史的研究』風間書房 2002

『子育て実践共同体としての「公園」の構造について』子ども社会研究14号 2008

『保育内容 領域「表現」日々わくわくを生きる子どもの表現』わかば社 2018

『日々わくわく』写真:篠木眞 現代書館 2018