<堂本真実子先生の「こころが動く絵本の魅力」>
こころが動く絵本の魅力7
クラスのみんなで絵本を楽しむ
今回は、クラスのみんなで絵本を楽しむということについて、考えてみたいと思います。
まさしく、私たち保育者の専門領域だといえます。
クラスで絵本を読むとき、「先生」と「クラス全員」というシンプルな2項関係で体験を共有できると、「幸せ」ということになります。
ですが、現実のところ、「先生」と「概ねクラスのみなさん」と「その他のみなさん」になる場合が、少なくありません。
特に、新任の先生が安定してその幸せを感じるまでには、さまざまな魂の修行があるでしょう。
また、最近の子どもたちの傾向から、クラスの状態がシンプルになることが難しくなっていることもあります。
幸せへの道のりで大切にすべきことは、外れていく子どもたちが「聞かない」のではなく、「聞けない」のだと考え、なぜこの場面で聞けないのか探ることです。
以下では、私の出会った子どもたちから見えてきた傾向とその対応について、考えてみたいと思います。
1.聞けない子どもの要因を探る
〇 私だけを見て!
「先生」と「クラス全員」という2項関係は、どの子も同じことをする「クラス全員の一人」になるということを意味します。
その限りなく個性が埋没した状態に、不安を感じてしまう子がいるようです。
それは、どんな子でしょうか。
まずは、本能的に不安になってしまう子です。
触覚的、動物的感覚が豊かな子と言えるでしょう。そんな子が、みんなと一緒に絵本を聞けるようになると、毎回、まっすぐ先生の目が届くところに座っていたりします。抱っこされたがることもあります。
また、本能的とまで言わずとも、みんなと一緒ということに、違和感のある子どももいます。
そんな子は、離れたところから、じっと様子をうかがっていたりします。このような違和感自体は、認められるべき資質です。クリエイティブな感性とも言えますし、批判的洞察力の持ち主とも言えるでしょう。
だからといって、みんなと一緒に絵本を聞かなくてよいということにはなりません。それは、孤独でもあり、絵本にまつわる上質な体験、すなわち物語に心を動かし、それを共有する喜びが味わえないからです。
それから、特別な先生のまなざしを必要としている子がいます。
特に、保護者からの潤沢な愛情を感じられないときの子どもは、先生のまなざしを欲します。そうすると、みんなと一緒の場面で、わざと目立つ行動を取ろうとするでしょう。
このように「クラス全員」から外れていく子どもが裏側に持っている不安について、絵本を読む場面だけで解決しようとするのは難しいと言えます。
「みんなに混じっていても、自分はちゃんとここにいる」という安心を、どう一人一人が感じられるかが問題です。その安心は、保育者のまなざしによって作られるものであり、それが信頼関係を築くということだと思います。
子どもたちは、園にいるときは自分を守ってくれる先生が、自分だけの存在ではないことを重々承知です。
けれど、どの子にも、先生は自分だけの先生なのだと感じられるときが要ります。
それは、3秒かもしれないし、30分かもしれません。毎日声をかけることかもしれませんし、ある日、ずっと付き合うことかもしれません。1週間そこそこで、その課題がクリアできる場合もありますし、半年以上かかる場合もあります。
ここにはマニュアルなどなく、先生の子ども理解と先生のやりくりによって生まれるものと言えます。
その子が好きなことに先生が興味を持ってくれたら、とても嬉しいでしょう。
頑張っていることを励ましてくれたり、認めてくれたときも、喜びを感じます。
困っているときに助けてくれたり、辛いとき、悲しいときにその気持ちを分かってもらえたら、その先生を信じようと思うでしょう。

みんなと一緒にいることに不安や違和感をもつ子どもたちには、そうやって、意識して関わりを増やしていくことが大事だと思います。 そうすると、「先生のいうこと」を一個人として聞きたくなり、先生のしていることに興味を持つようになります。
保育者が、クラスの子ども一人一人に丁寧なまなざしを注いでいくことは、絵本をみんなで楽しむことの素地となるのです。
〇 絵本に興味が持てない
さて、もうひとつ考えられる要因は、絵本に興味が持てないという場合です。
言語発達に課題があったり、聞くことが苦手だったり、決められた時間にじっとしていられないなどの特性を持っている子の場合、みんなと一緒に聞くことが難しくなるでしょう。
また、好きな絵本、分かる絵本の幅が狭く、おもしろくないと感じたり、分からないと感じると、とたんに聞かなくなって騒ぐ、という子もいるでしょう。
発達的に課題を持っていたり、何らかの特性をもつ場合は、その課題に応じた個別対応が必要になってきます。
一つには、その子にあった絵本を探して、絵本の魅力を個別に伝えていくことが大切になります。このことについては、本連載の「4 発達と絵本」のところで書かせて頂きました。場合によっては、保護者の協力を得ることも必要になってくるでしょう。
絵本そのものに興味を持てない場合、みんなと一緒に楽しむことは難しくなります。
絵本の時間は、その子にとって仕方なくお付き合いする時間だからです。
TPOをわきまえて、静かにそこにいるだけだったり、ぼーっとしているだけの子も、実際にはいます。
そんな子どもを見つけて、言葉の理解について探ってみることも保育者の仕事です。
分からなさやつまらなさを、騒いだり、その場から外れたりして正直に表す子どもには、約束事を伝え、どうすればその場にいられるか、一緒に考えることも必要でしょう。
事前に、読む絵本を見せておいたり、選ばせたり、一緒に読んでおくことも有効な場合があります。
後ろで、自分の好きな絵本や図鑑をめくって見たり、絵を描いたりすることもあるでしょう。
まずは、みんなに迷惑をかけないということが、その時間の約束事です。
しかし、絵本の世界を楽しめない子はいないと思います。
分かりさえすれば、いくつもの知らない世界を生きることができるからです。
おそらく3歳で、苦手の芽が見えるはずです。4歳では、はっきりするでしょう。
できるだけ早く、絵本に興味が持てない要因を探り、個別対応や保護者への働きかけを通じて、育ちを支えていくことが大切だと思います。
2.先生の修行!?
これまで、子ども側の要因を考えてきましたが、絵本をみんなで楽しめるようになるための先生側の要因もあります。次にこれについて、考えていきましょう。
〇 視線について
まずは、視線です。
魂の修行が足りない先生は、外れる子どもがいると、「チロン」とその子に視線を投げます。
ほぼ、無意識に近いのですが、この視線は、子どもに刺さります。
そして、その逸脱行動は、より目立つものとなるでしょう。
「なんで聞かない」という、先生の焦り、不安、疑心、落胆の入った視線は、その子にとっては否定と受け止められます。
その子は、「聞かない」のではなく「聞けない」のです。
自分のその心持ちがつくる視線を、子どもの安心を導く視線へと変えていく修行は、とても大切だと思います。
〇 試行錯誤の選書
次に、発達に応じた絵本を選ぶことです。
その上で、クラスの子どもたちが夢中になれる絵本を試行錯誤していきます。
そのとき、保育者自身の心が動いていることも、とても大切だと思います。
そうして、絵本はおもしろい、絵本は楽しい、を積み重ねるなかで、さまざまなタイプの絵本を読んで、新しい世界を子どもに開いていくとよいでしょう。
まずは、保育者が絵本を読んで心を動かし、子どもと共有していく試行錯誤が大切だと思います。
〇 表現力について
クラス全員の子どもの心をつかむのですから、保育者には、それなりの表現力が求められます。
質の高い絵本は、保育者の表現力を補完してくれますが、それでも、緊張と解放がつまったドラマチックな内容をちゃんとドラマとして表現できることは、専門性として求められるでしょう。
先日、読み語りに挑戦した実習生の声が、あまりにも小さく、その上暗かったので、よっぽど声をかけようと思いましたが、本人も一生懸命で緊張しているのだろうと、ぐっと飲み込みました。
しかし、あれではなぁ・・・。スピード、声色、めくるタイミング、ともかく読んで、子どもと心を合わせていくうちに自然と磨かれていくものですが、是非、意識して読んでみて、手ごたえを重ねていってほしいと思います。
3.まとめ
絵本をクラスのみんなで楽しむ幸せを味わうことは、クラス経営がうまく行っていれば難しいことではないけれど、実際はそんなに簡単なことではないかもしれません。
絵本を読む場面は、一人ひとりの子どもと信頼関係が結べているかどうかや、自分の教材研究や表現力の質が問われる場面でもあります。
是非、後悔よりも、探求心を働かせて、幸せ体験を手に入れて頂きたいと思います。
写真のひろば(撮影:篠木眞)
<幸せな時間>


執筆者
堂本真実子(どうもとまみこ)
認定こども園 若草幼稚園園長。東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科博士課程修了。教育学博士。日本保育学会第6代会長 小川博久氏に師事。東京学芸大学附属幼稚園教諭、日本大学、昭和女子大学等、非常勤講師を経て、現職。高知大学非常勤講師。
若草幼稚園HP内のブログ「園長先生の部屋」で日々の保育を紹介。
主な著書
『学級集団の笑いに関する民族史的研究』風間書房 2002
『子育て実践共同体としての「公園」の構造について』子ども社会研究14号 2008
『保育内容 領域「表現」日々わくわくを生きる子どもの表現』わかば社 2018
『日々わくわく』写真:篠木眞 現代書館 2018
他