堂本真実子先生の「こころが動く絵本の魅力」>

こころが動く絵本の魅力6

物語絵本と子ども


前回は、科学絵本の魅力について考えました。

今回は、物語絵本の魅力について考えてみたいと思うのですが、物語絵本と一口に言ってもあまりにもたくさんあり、ジャンル分けすることも、紹介していくことも難しい気がします。

そこで定番中の定番、『はじめてのおつかい』と『めっきらもっきら どおん どん』を通じて、物語を生きる子どもの心に迫ってみたいと思います。

1.『はじめてのおつかい』


もう20年以上前になりますが、別の幼稚園で4歳児の担任をさせて頂いたことがありました。

そのクラスで、『はじめてのおつかい』を読んだ時のことは、今でも忘れられません。

いわゆる、静まりかえる。

全員が、固唾をのんで聞き入っている、そんな雰囲気でした。

4歳児クラスの子どもたちに「あまりにぴったり」のお話なのだと、思ったことでした。

5歳になった女の子が、一人でおつかいに行く高揚感から始まったこの物語。

主人公のみーちゃんは、出だしから、いくつもの困難に出会うことになります。

子どもサイズの。

ここが、このお話の本当にすばらしいところだと感じます。

例えば、道に出たとたん「ひゅるーん」と通り過ぎる自転車。みーちゃんは「どきっ」として、壁にぺたっとくっつきます。

いつもは、おかあさんが守ってくれる道のりも、一人で行くとなると、がらっと違って見えるでしょう。

それから、お友だちに出会って、一人でおつかいする気持ちを、勇気と一抹の不安と共に仕切り直していくわけですが、さっそく、こけてひざを擦りむき、その上、お金も落としてしまいます。

なんということでしょう。

それでもみーちゃんは、すぐに立ち上がってお金を探します。

無事、お金は見つかるのですが、もう、これだけで、みーちゃんは、多くのエネルギーを使っているに違いありません。

それでも頑張るみーちゃんの姿は、多くの子どもたちの姿にまっすぐとつながっています。

 困難は、まだ続きます。お店に着いても誰もいません。

そこでみーちゃんは、勇気を振り絞って「ぎゅうにゅう くださぁい」といったのに、ちょうど車が通ってしまい、みーちゃんの声はかき消されてしまいます。

そんな・・・。

車、許さん、という気持ちになる私たち。そこへさらに、怖いサングラスのおじさんがやってきます。私たちも、小さいころ、サングラスのおじさんは、見ただけで怖かったものです。

それも「たばこ!」と、怒鳴るのです。小さい子の前で。「たばこ下さい。」と言いなさい。

無事おじさんがいなくなったところで、みーちゃんは、機を逃すまいと声を出すのですが、今度は「ふとったおばさん」がみーちゃんを押しのけて、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃとおしゃべりを始めてしまうのです。

目に浮かぶ。

こうして、みーちゃんの頑張るエネルギーは、これでもかと水を差されていきます。

それでも、みーちゃんは、勇気を出しました。やっと気づいてくれたお店のおばさんの言葉に、みーちゃんは、思わずポロンと涙をこぼします。

心の底から、「みーちゃん、よかったね」と思う私たち。この小さな子どもの大きな心のドラマが、私たち大人と子どものハートをつかんで離しません。

本園でも、4歳児クラスの子どもたちに読んでもらって、先生に様子を聞いてみました。

子どもたちからは、ドキドキした、ワクワクした、心配した、おもしろかった、というようなニュアンスが感じられたとのこと。同じ5歳だと分かると、自分は「おつかいに行かせてもらえなかった」とか、「お兄ちゃんと行った」など、経験談も出てきたそうです。

どのクラスも、読んでいるときに静まり返っていたそうですが、子どもは、私たち大人よりも、絵本に心を乗せる、もっと言えば、絵本に入り込むことができるようです。

きっと、私たち大人よりも世界は未知数で、現実と非現実の境界がそれほど定かではないからでしょう。

みーちゃんがお金を落としたシーンでは、「どうしよう。」という言葉がふっと漏れたり、「ぎゅうにゅう ください」というみーちゃんの声が気づいてもらえなくて、顔を曇らせたり。

お話の世界を生きる子どもたちの心は、たくさん動いたようでした。

2.『めっきらもっきら どおん どん』


『はじめてのおつかい』が、身近な世界でのリアルな子どもの気持ちを表しているものであるなら、『めっきらもっきら どおん どん』は、まさしく異世界への旅を楽しむものでしょう。

楽しくもあり、怖くもある現実の世界を生きる子どもの両義性が、異世界とのかかわりを通してよく表されています。

この絵本も、定番中の定番であり、大人気の絵本ですから、さぞ楽しかろうと思いながら、先生に読んだ時の様子を聞いてみると、あるクラスでは意外な話が返ってきました。

まず、文中に出てくる『めっきらもっきら どおん どん』の意味が分からないから聞く気が失せたというもの。

これには、びっくりです。「ちゃんと、読んだん?」と聞いたのですが、そこは、節をつけて歌うように読んだとのこと。

もしかしたら、最初の題名から「何これ。」とひっかかっていて、さらに、歌になって出てきたので、本当に意味が分からないと思ってしまったのかもしれません。

昔話のおしまいにでてくる「とっぴんぱらりのぷぅ」など、いわゆる意味のない音に魅力のある言葉は、「なんか、おもしろい」で通っていくものですが、そうは済ませられない子どももいるのだと発見でした。

また、森の中にいるのに、穴に入ったらまた森の中という設定が意味分からんと憤慨する子もいたようです。

別の世界に行くはずじゃないかということでしょう。

4歳児クラスともなると、その世界に感覚的に入り込むこともできると同時に、「分かりたい」と思う気持ちも強くなるのだなと感じた次第です。

そういうわけで、このクラスと『めっきらもっきら どおん どん』の相性は、あまりよくなかったというわけでした。

とはいえ、担任の先生によると読んでいる最中は、みんな真剣で、どきどきしていて、終わったとたんふーっと息をつく感じがしたそうです。


一方、隣のクラスでは、

「はじめの穴に落ちるところがおもしろかった。」

「モモンガ―ごっこで空を飛ぶところが面白かった。」

など好印象の場面が多く出てきて、読んでいる最中も表情がころころ変わって、歌も全部覚えた子がいたそうです。

こちらは、順調にお話の世界に乗れたようです。

物語絵本と子どものかかわりは、何がよくて、何が悪いということではなく、そこでいろんな風に心を動かすことが最も大切だと改めて思いました。

私たち大人は、絵本を読んでいて、思わず、言葉が漏れたり、泣きそうになったり、明らかにほっとしたり、くるくるころころと目まぐるしくリアクションを取るほどまで、心を動かすことはないでしょう。

読み語りというのは、子どもにとってまさしく上質な体験と言えるのではないでしょうか。

子どもたちの様子を見ていて、私たち保育者は絵本を通して子ども理解を深めることができるということも分かりました。

まさか、『めっきらもっきら どおん どん』の、そんなところで引っかかって憤慨する子がいるとは、思いも寄りませんでした。

また今回、若い保育者が、名作を知らないということも発見しました。

なんでも、表紙がちょっと・・・、ということだったらしいですが、そんなことで、この名作を知らんとは何事か、というわけでした。

若い保育者が、物語を知らないというのは、全国的な課題であろうと思います。

特に、昔話を知りません。

その反省があって、ここ最近は新採の研修中におよそ60冊以上の絵本を選んだり、選ばせたりして読んでもらうのですが、その研修以前の保育者は、知らないままになっていたようです。ここらへんも、園長としては、手を入れていくべきところなのだと、反省した次第です。

次回は、クラスみんなで絵本を楽しむための保育者の技術や心持ちについて、考えてみたいと思います。

写真のひろば(撮影:篠木眞)


「何でもないことが、楽しい」

執筆者


堂本真実子(どうもとまみこ)


認定こども園 若草幼稚園園長。東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科博士課程修了。教育学博士。日本保育学会第6代会長 小川博久氏に師事。東京学芸大学附属幼稚園教諭、日本大学、昭和女子大学等、非常勤講師を経て、現職。高知大学非常勤講師。

若草幼稚園HP内のブログ「園長先生の部屋」で日々の保育を紹介。

主な著書


『学級集団の笑いに関する民族史的研究』風間書房 2002

『子育て実践共同体としての「公園」の構造について』子ども社会研究14号 2008

『保育内容 領域「表現」日々わくわくを生きる子どもの表現』わかば社 2018

『日々わくわく』写真:篠木眞 現代書館 2018