30年以上に渡り園現場に寄り添い、様々な問題・テーマを取り上げ、保育の道すじを示し続ける保育雑誌「げ・ん・き」から、おススメの特集をご紹介いたします。

※本記事は、2回に分けてお届けいたします。

①:「遊びの援助」とは何か ごっこ遊びから読み解く その① ※この記事

②:「遊びの援助」とは何か ごっこ遊びから読み解く その②   



「遊びの援助」とは何か 

  ごっこ遊びから読み解く その①

対談

 細田 直哉

  (聖隷クリストファー大学 准教授

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 吉本 和子

  (やまぼうし保育園 園長

幼児の遊びでは、いわゆるごっこ遊びがたくさん見られます。その内容を見ていると、その子どもたちの、社会の仕組みについての認識がどれくらいあるのかがわかります。そして、遊びの中で自身の経験をどれだけ細かく再現できるかを見ると、発達の段階もわかります。特に、複数の子どもがともに生活していっしょに遊ぶ保育の場では、さまざまな遊びが生まれて進行しながら、刺激しあって、つながって、発展していくという姿が見られます。

保育者は、こうした遊びをどのように理解して、遊びの姿にどう関わっていくべきでしょうか。

細田直哉先生吉本和子先生に対談していただきました。



遊びは、はじまる

遊びは、つづく

遊びは、つながる

細田 ごっこ遊びは不思議な遊びです。それは一言でいえば、自分自身とは「別の人格」になることを楽しむ遊びです。子どもが自発的に行う遊びでありながら、その質は園によって大きく異なります。しかも、その質の違いには、保育者の援助の違いが大きく関わっているようにも見えます。

本日はごっこ遊びを切り口にして、そうした「遊びの援助」の実践知について、やまぼうし保育園の吉本和子先生におうかがいしたいと思います。

やまぼうし保育園といえば、社会的な役割・職業を再現する遊びの質の高さが特徴ですが、一体、どのような環境構成をし、どのような援助をすれば、このような豊かなごっこ遊びの展開が可能になるのでしょうか?

吉本 幼児クラスを例にお話しましょう。幼児クラスは年少・年中・年長の子どもたちを2名の保育者が担任する異年齢クラスの形態をとっています。様々な発達段階の子どもが一緒に生活しているので、日々様々な遊びをそれぞれに楽しむ姿が見られます。

たとえば、ある日、「魚釣りごっこ」をして遊ぶ年少児がいました。自分たちでつくった魚を床に泳がせて、それを釣りあげて遊んでいます。その子たちのまわりには、「たこ焼き屋さんごっこ」や「お寿司屋さんごっこ」をして遊んでいる年中児・年長児がいます。

細田 その3つのごっこ遊びは別々にはじまったものですか? それとも、保育者が意図的に誘導してはじまったものですか?


食べ物らしく

お店らしく

吉本 遊びは自発的であることが基本ですので、このときもそれぞれ自発的にはじまりました。とはいえ、子どもたちが遊びをはじめやすくするための環境の工夫もあります。

それは、保育室にあらかじめ用意する「遊びの素材」の選び方です。たとえば「ニンジン」や「ダイコン」が必要な遊びの時でも、それぞれの食材が精巧につくられたプラスチックや木の玩具ではなく、あえて様々なものに見立てられる素材を多種多数用意しています。

細田 それはなぜですか?

吉本 特定の形の玩具であれば、それ以外のものに見立てるのは難しいので、遊び方が限定されてしまいます。しかし、「赤や白のお手玉」やのような素材を用意しておけば、「ニンジン」や「ダイコン」としてだけでなく、「いちご」にも「おもち」にも「ケーキ」や「お寿司」の材料にもなりますし、「並べること」も「重ねること」もできます。それだけ遊びの可能性も広がるからです。

細田 そのように様々な子どもの興味関心を受け止められる遊びの素材を多数用意しておくことで、子どもたちの多様な遊び方が生まれやすくなる環境を構成しているわけですね。

吉本 特に「食べ物」に見立てられる素材は多種多様なものを用意しています。そのため、「たこ焼き」や「お寿司」をつくりたいと思ったときには、それに使える素材をすぐに見つけることができます。

細田 では、子どもたちが「お店の構え」をつくることを支える何らかの工夫はありますか?

吉本 「お店の構え」については「棚」「テーブル」などを「カウンター」に見立て、そこに「お店の看板」をつくります。こうすることで、そこが「○○屋さん」であることがみんなにわかるようにしています。

細田 確かに「看板」があるとわかりやすいですね。しかも、「棚」や「テーブル」によって、空間が「こちら側/向こう側」に分割されますので、「お店やさん/お客さん」のような「役割分担」も維持されやすい環境だと言えますね。

吉本 そうした環境の工夫によって「お店やさんごっこ」は簡単にできます。また、「お店やさん」というのは子どもたちが普段の生活のなかでよく接している場所ですし、「食べること」も身近な生活行為ですから、「食べものやさん」というのは子どもたちが遊びたい定番のイメージです。


子どもたちをつなげる

大切なシンボルの役割

細田 「魚釣り」「たこ焼き屋さん」「お寿司屋さん」という3つの遊びは、この後どう展開していったのでしょうか?

吉本 「魚釣り」をしていた子どもが釣れた魚を「お寿司屋さん」に持っていったことをきっかけとしてお寿司屋さんの遊びが変化しました。「お寿司をつくって、出して、食べる」という遊びに、「釣ってきた魚を受け取り、それをお寿司にする」という新たな要素が加わったのです。そこから、お寿司屋さんの遊びが徐々に大きくなり、「カウンターだけのお寿司屋さん」が最終的には「回転寿司レストランのお店」になり、多くのお客さんが来るようになりました。

細田 そうした変化を促すために、保育者はどのような援助を行ったのでしょうか?

吉本 保育者の援助としては、「お寿司屋さんの看板」が子どもたちに見えるように配置することくらいでしょうか。

遊びは子どもがはじめることが原則ですから、普段、遊びについて保育者が直接的な指示をすることはしません。この時は、魚を釣っている場所のそばに、「お寿司屋さん」の看板があり、その店のカウンターではお寿司をつくる子どもたちがいましたので、魚釣りの子どもには「魚→お寿司」が容易につながり、「魚をそこに持って行こう」と思いついたようです。

細田 なるほど。看板が「見える」と「見えない」とでは大きな違いですね。

「看板」は「公共的な場に向けての情報発信」ですから、それを環境内に配置するということは、遊びがつながって新たな公共的な場が生まれる可能性をつくりだしていることになります。こうした「視覚情報の環境」を意図的に構成することも遊びの援助の重要なポイントですね。

吉本 「看板」などのシンボルは遊びにとても大事な役割を果たしますから、保育室にあらかじめいろんなシンボルの役目を果たすものを準備しています。

細田 遊びの援助のためには、最低限このようなシンボルを準備しておくとよいという基準のようなものはありますか?

吉本 子どもが遊びで表現したいものは、やはり自分の生活圏にあるお店や施設でしょうから、保育園周辺のお店や施設の「シンボル」を用意しておくと、子どもたちが遊びはじめやすいと思います。


遊びを引っ張る

遊びを引き出す

吉本 保育者というのは、遊びが大きく広がり、刺激的に展開することを求め、クラス全体でおもしろい遊びをすることを喜ぶものです。しかし、それを遊びの前提にすると、結果的に、保育者が遊びを「引っ張る」ことになり、子どもの遊びではなくなってしまいます。保育者がいつも悩む、難しい部分です。

細田 保育者が遊びを「引っ張る」とき、遊びは「子どもの遊び」ではなくなってしまうのですね。ここに「遊びの援助」のポイントがあるように思います。

 保育者が遊びを「引っ張る」とき、遊びの主体は保育者です。子どもは自分で遊ぶというよりも、保育者に引っ張られているからです。しかし、保育者が子どもの遊びの力を「引き出す」ときには、子ども自身も遊びの主体となっています。なぜなら、保育者によって引き出された子どもの新たな力が遊びの推進力となっているからです。


遊びの世界にある

役割を演じる

細田 いったん、ある遊びがはじまったら、その「遊びに関係のある役としてその遊びに参加する」というルールがあると聞きましたが、どういうことでしょうか?

吉本 「ルール」というと少し大げさですが、たとえば、「電車ごっこ」であれば、その遊びに入るためには、「運転手」、「車掌」、「駅員」、「乗客」など、その遊びに関係のある役になってその世界に入りましょう、というだけのことです。なぜなら、その遊びの世界にまったく関係のない役が入ってしまうと、遊びの全体的なイメージが混乱し、遊びに没頭することが難しくなってしまうからです。

細田 もし、その遊びと関係のない役割で遊びたい子どもがいた場合にはどうするのですか?

吉本 子どもたちは遊びのルールが自然にわかっているため、あまりそうしたことは起きませんが、うっかり気づかずに別の遊びをはじめてしまっても、たいていは子どもたち同士でそのことを伝え合って解決しています。

また、たとえ保育者が気づいた場合にも、「それはダメ」というような否定的な言葉でその遊びを中止させることは絶対にしません。「ここのお店ではそういうものは売っていないよね。別の場所でお店を出す?」というような遊びの世界に沿った言葉によって遊びを分けつつ、新たな形でゆるやかにつなげて遊びの空間を広げていきます。

こういうことを繰り返すうちに、いろいろなお店に対する認識も深まり、それぞれが楽しく遊ぶためのルールを理解していきます。


社会を再現する

物語を再現する

細田 保育園で子どもたちが遊んでいるごっこ遊びには大きく分けて2種類あるように思います。

ひとつは、社会的な職業や役割を再現して遊ぶこと、もうひとつは絵本や物語の世界を再現して遊ぶことです。この二つのごっこ遊びには、どんな違いがあるのでしょうか。

吉本 好きな絵本や物語の世界を再現する遊びも、その世界の登場人物の役割を演じて遊んでいるという意味では、レストランなどの遊びと、基本的には同じ楽しみを求めているのだと思います。

実際、やまぼうし保育園の子どもたちも大好きな物語の世界をつくって遊んでいます。たとえば、『エルマーのぼうけん』の物語に親しんだ後では、登場人物のペープサートをつくったり、その物語に登場する大きな「りゅう」を積木でつくったりして、『エルマーのぼうけん』の世界に入り込んで、長いあいだ遊ぶ姿が見られました。

細田 その遊びはどのようにはじまったのですか?

吉本 はじまりは、本を読んで楽しんでいた子どもたちが、エルマーやりゅうのペープサートを保育者と一緒につくって遊んだことでした。それを見ていたほかの子どもたちがその遊びのおもしろさに誘われて、保育室のかなり広い面積に積木でエルマーの世界をつくりはじめたことによって遊びが広がっていきました。

細田 最初は別々に遊んでいた遊びが「りゅう」という大きなシンボルが出現したことによって徐々につながり出したのですね。

吉本 おもしろいのはこの遊びが純粋に物語の再現ではなかったことです。「積木のりゅう」の隣では「電車ごっこ」で遊んでいた子どもたちがいました。その子たちはできあがった「りゅう」を見て、「自分たちもエルマーのように探検に出かけよう」と探検に出かけることにしました。

それを見ていた保育者がタイミングよく言葉をかけました。「探検に行くなら、お昼ごはんは用意していかなくていいの?」と。

すると、その子どもたちは「それなら、パン屋さんに行ってパンを買っていこう」と、近くでやっていた「パン屋さんごっこ」に立ち寄ることにしたのです。こうして、保育室で同時並行的に進行していた多数の遊びが「エルマーの物語」を媒介としてつながりました。

細田 遊びはそのように他の子どもたちのつくったものや保育者の言葉や子どもたちの共通体験としての物語などによって柔軟につながり、広がっていくのですね。

吉本 しかしこんなふうに、いつもつながるわけではありません。このとき、「積木のりゅう」を見て、それに何かを感じて、参加しようと決めたのは子どもたちです。もし何も感じなければ、そのまま別の遊びを続けていたと思います。保育者がエルマーの世界をつくろうと誘導したり、直接的に誘ったりしたわけではありません。

細田 それはそうだと思いますが、保育者の「誘導」に関しては、私は一概に「わるいこと」ではなく、むしろ「よい誘導」があるのではないかとも考えています。日本の保育の父と言われる倉橋惣三も「誘導保育論」を提唱しているように、保育者の「誘導」は「遊びの援助」におけるひとつの重要な手段として積極的に活用すべきではないでしょうか。

実際、今のエルマーの事例においても、「よい誘導」がいくつもあったように思います。たとえば、そもそも保育者が子どもたちに『エルマーのぼうけん』という物語を読み聞かせたこと、その物語のおもしろさをさらに深く味わうために一緒にペープサートをつくったこと、物語に出てくる「りゅう」を積木で作るために大きなスペースを確保し援助したこと、電車ごっこをしていた子どもたちにタイミングよく「探検に行くなら、お昼ごはんは用意していかなくていいの?」と言葉をかけたりしたことなどです。

吉本 「よい誘導/わるい誘導」の境界はどこにあると考えていますか?

細田 先ほど出た言葉を使えば、「子どもの新たな力やイメージを引き出す」のが「よい誘導」、「子どもを引っ張ってしまい、子ども自身の力やイメージを無視する」のが「わるい誘導」でしょうか。


子どもの記憶を呼び起こす

子どもの体験を言葉化する

細田 遊びを援助するための保育者の言葉や関わりにはどのような種類がありますか?

遊びのこの段階を援助するためには保育者のこうした関わりが必要であるといったように、遊びの豊かな展開を支えるための一定のパターンのようなものはありますか?

吉本 パターンや種類といった整理はしていません。しかし、たとえば、保育者が子どもに質問する際は、「イエス/ノー」で答えられるような質問はしないように意識しています。遊びの援助のために必要なのは、「いつ/どこで/だれが/なにを/どのように」といった「5W1H」の質問です。

たとえば、「昨日、動物園に行ったの?」と聞くよりも、「昨日、どこに行ったの?」と聞くようにしています。そして、それは「どこにあったの?/誰と行ったの?/いつ行ったの?/どうやって行ったの?」というように子どもが自分の言葉で答えられる質問を、会話の中でていねいにしていくようにしています。

細田 問われることによって、そして答えることによって、子どもは体験してきたこと、見てきたこと、聞いてきたことの記憶を呼び起こし、個人の体の中に眠る体験を言葉という形で保育室という公共空間の中に表現します。そのように言語化するとイメージが明確になるだけでなく、一人の体験がみんなのものとして共有され、子どもたちがそれを遊びの中で協同で再現するきっかけにもなります。

吉本 もちろん、そのように問われなくても、自ら思い出してそのイメージを遊びで表現しようとする子どももいます。その場合には、保育者はそのイメージを具体化するための素材や環境を準備することに努めながら、「何をつくりたいの?/どうつくりたいの?/どんな素材がほしいの?」などという問いかけをすることによって、その子どもの思考過程を支えていきます。

細田 保育者は一方で、子どもたちのまだ言語化されていない個々の体験や思考過程を具体的な言葉に置き換えていくことを支えながら、もう一方で、それらの言葉が具体的な物的環境として保育室の中に実現され、公共的なものとなるための多様な素材を準備しているわけですね。

吉本 ですから、保育室内にそうした子どものイメージを実現する遊びの素材が用意されていることが保育の前提です。

保育者がいくら良い問いかけをして、子どものイメージを引き出したとしても、それを具体化できる多様な素材や環境がなければ、子どもはそれを現実化して遊ぶことはできないからです。そのため保育者は、保育室内に多様な見立てが可能な遊びの素材を多数用意しつつ、季節や子どもの体験を考えながら、必要になりそうなものを豊富に用意するのです。


知識、認識の違い

遊びの姿の違い

細田 しかし、年長児にもなれば、そこにないものはみずからつくることもできますね。

吉本 そうですね。年長児の場合、知識もかなり増えています、ハサミなどの道具の使い方も上手になりますので、保育者との対話をきっかけに自分たちでつくっていくこともできます。一方で、年少児や年中児の場合には、どこまで支えれば自分の力でできるかを見極めながら、保育者は適切に援助します。たとえば、知識や体験がまだ乏しい小さい子どもの場合、「バスごっこ」の「バス停」は苦労して一緒につくるよりも、保育者が用意した方が遊びの楽しさを深く味わえるかもしれないといった判断も重要です。

細田 ごっこ遊びでは「役割を演じる」だけでなく、遊びに必要なものを「つくる」ことも楽しい遊びですが、その場面でも子どもの知識・認識の違いによって保育者は遊びの援助を柔軟に変えて、子どもに今伸びる力を十分に引き出しているということですね。

吉本 たとえば、「交通」というテーマで遊ぶ場合、「電車は線路を走る/飛行機は空を飛ぶ/車は道を走る/船は海を進む」という最低限の認識は年少児にもあります。それを踏まえた上で、それぞれの交通システムの分類をどこまで細かく認識できているかを知るために保育者は質問します。たとえば、「車」と言っても、その中には「バス/タクシー/トラック/…」など、たくさんの種類がありますね。そうしたことを遊びを通して確認していくのです。

細田 保育者の問いかけによって、子どもは自分の体験を振り返り、言語化します。そのことが、そうしたテーマをより広げたり深めたりしながら遊ぼうという意欲につながるのでしょうか?  それとも、そうした問いかけにはそれ以外の意味があるのでしょうか?

吉本 幼児は異年齢で生活しているので、保育者と年長児との会話を年中児・年少児も聞いています。理解度に差はあれ、それぞれの子どもの認識レベルで聞いています。そこから新たな知識を学ぶこともたくさんあるでしょう。

年長児が小さい子どもに教えてあげられるようになったとき、はじめてその知識はその子どものものになったといえるでしょう。「認識」は言語化できるかどうかが大事です。子どもがある概念を言語化できたときにはじめて、その子はその概念を「自覚的に理解できた」「認識できた」と考えてよいと思います。


つくる遊び

役割を演じる遊び

細田 何かを「つくる遊び」は多くの場面で見られます。そして、その多くは何かを「つくる」だけでなく、その世界の中で何らかの「役割を演じる」ことも加わり、ひとつの世界を再現する遊びへと広がっていきます。この「つくる遊び」と「演じる遊び」をつなぐ保育者の援助について具体例をあげて説明していただけませんか?

吉本 やまぼうし保育園では、消防車が園まで来たり、消防士さんに消防車のことや消防の仕事のことを詳しく説明してもらったりする機会があります。このように「本物」に触れて知識を得るうちに、子どもたちの中には消防車をつくって遊びたい気持ちが徐々に高まっていきます。

細田 まずは「本物」に触れることで、それを再現して「つくる」ことへのモチベーションを高めるのですね。

吉本 子どもたちの「つくりたい」気持ちが高まってくると、保育者は「消防車の写真」を積木コーナーの近くの壁に貼っておいたり、「働く車図鑑」や「お仕事図鑑」などを用意しておいたりします。もちろん、大きな作品をつくれるだけの大量の積木とスペースは常に保育室に確保されています。

このように環境を整えておくと、子どもは自分たちの経験を振り返ってお互いにアイデアを出し合ったり、写真や図鑑を参考にしたりしながら、何日もかけて、人が乗れるくらい大きな「消防車」をつくっていくのです。

細田 その「消防車」は全部積木でできているのですか?

吉本 積木だけでなく、布、紙、プラスティックなどの様々なものを使ってつくられています。このように子どもたちは最初、消防車という作品をつくることに熱中します。多様な素材を用いて、表現の仕方を考えて、細部をつくりこんでいくという楽しみを味わっているのです。

細田 そうした「つくる遊び」から「役割を演じる遊び」へはどのようにつながるのでしょうか?

吉本 つくった世界の中にある役割を子どもが意識できれば、その役割を演じる遊び生まれます。もしそこに「消防服」「ヘルメット」などがあれば、子どもたちは「消防士」という役割をよりイメージしやすいです。消防士となった子どもたちは、火を消すために消防車で出動します。火に見える素材やおもちゃを探して、火事の現場をつくって消火活動を行うのです。そして、消防士の仕事を図鑑などでさらに知れば、たとえば、レスキューの訓練なども再現します。

細田 図鑑で知識を得れば、「レスキュー訓練」まで再現しようとするのですね。「遊びの中で子どもは頭半分背伸びした発達を生きる」と心理学者ヴィゴツキーが言っていますが、まさにその言葉を思い出しました。子どもはごっこ遊びの中で、自分が憧れている存在になることができ、それになりきることでちょっと先の発達を生き、普段とは違う大人のような姿を見せるのですね。

吉本 こうした遊びの深まりは、たとえばお医者さんごっこなどの遊びでも見られます。医者が患者を外来で診る場面も、子どもの認識と知識が深まれば、手術、入院、救急車による患者の搬送といったことまで行う遊びで再現する遊びになることがあります。レストランの遊びでも、ただつくって出すだけでなく、フロアと厨房とレジの機能がわけられ、ウェイトレスと料理人とレジの役が生まれ、メニューなどもどんどん細かくなっていきます。

>>>その②に続く



細田 直哉(ほそだ・なおや)

東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。小中学校教員、農業、野外保育のNPO活動などを経て、現在、聖隷クリストファー大学社会福祉学部こども教育福祉学科准教授。発達を支える保育環境が研究テーマ。専門は教育学・心理学。主要著書・訳書に『あそんでまなぶ わたしとせかい』(みらい)、『身体とアフォーダンス』(金子書房)、『アフォーダンスの心理学』(新曜社)など。

吉本 和子(よしもと・かずこ)

1976年に尼崎市におもと保育園設立(園長)、1980年に同市に久々知おもと保育園設立(園長)、1999年に宝塚市にやまぼうし保育園を設立(以降、園長)。著書に『乳児保育〜一人ひとりを大切に育てるために』『幼児保育〜子どもが主体的に遊ぶために』などがある。乳幼児の発達をふまえた保育の実践に取り組みながら、全国各地の保育園や幼稚園での研修活動にも忙しい毎日を送る。