はじめに
いつも絵本を子どもたちに届けてくださり、ありがとうございます。
福音館書店は1956年の「こどものとも」創刊以来、65年以上に渡り月刊絵本を刊行し続けて参りました。
時代は変わり、人と人とのコミュニケーション方法が大きく変わりましたが、絵本の大切さは変わらないと思っています。
今日でも多くの園の先生によって当社の月刊絵本が保育の現場で活用され、子どもたちの育ちに寄り添い、園と家庭とを結んでいるという事実。
毎号毎号を手に取り、子どもたちと一緒に楽しんでくださる多くの先生方がいらっしゃるからこそ、数千にものぼる「新しいお話」を世に出すことができたのだと実感しております。
月刊絵本が保育にどう活かされ、子どもたちはどのように絵本の世界を楽しむのか。
この連載では、月刊絵本を保育に取り込み、子どもたちの変化を日々感じながら園長として保育に関わっている松本崇史先生に、月刊絵本の魅力を紹介いただきます。
それではどうぞ、お楽しみください。
こどものともひろば 運営係
― 子どもがそこにいる物語 ―
保育の父と呼ばれる倉橋惣三先生が、次のような言葉を残されています。
子どもがいたずらをしている。
その一生懸命さに引きつけられて、止めるのを忘れている人。
気がついて止めてみたが、またすぐに始めた。
そんなに面白いのか、なるほど、子どもとしてはさぞ面白かろうと、知らず知らず引きつけられて、ほほえみながら、叱るのをも忘れている人。
実際的には直ぐに止めなければ困る。
教育的には素より叱らなければためにならぬ。
しかも、それよりも先ず、取り敢えず、子どもの今、その今の心もちに引きつけられる人である。
それだけでは教育になるまい。
しかし、教育の前に、先ず子どもに引きつけられてこそ、子どもへ即(つ)くというものである。
子どもにとってうれしい人とは、こういう先生をいうのであろう。側から見ていてもうれしい光景である。
「ひきつけられて」(育ての心 上より / フレーベル館)
今回の年少版6月号「せまーい」を読んだ時に、「あー!子どもは好きだろうな!」と直感し、そして自分自身も嬉しい感覚になると同時に、この倉橋先生の言葉を思い出しました。
子どもは狭いところが好きです。
それこそ、すし詰め状態になるまで、一緒に狭いところに入ろうとします。
後でケンカやトラブルになることなど考えません。自分も入りたいとばかりに、狭いところに入り込んでいきます。
「せまーい」の絵本の子どもも、何やら企んでいる表情をしています。そして椅子の下に潜り込みます。次に棚と棚の隙間です。段ボールの中。傘の下。ぬいぐるみの間。洗濯カゴの中。お父さんの膝の下。お母さんの足の間。犬小屋の中。と順番に狭いところに入り込んでいきます。
どこまでも幸せそうな子どもの姿を描いた物語です。
どうして、子どもは狭いところが好きなのでしょうか?
当園の子どもたちも、ままごと用のハウス、トンネルの中、コンテナの中、カーテンの中とよーく入り込んでいます。
年齢が大きくなると、自分で段ボールを加工し、その中に入り込むようなロボットを作り込んだりもします。中型積み木で自分たちで好きな空間を構成し、その中で遊んだりもします。
そういえば、乳児が抱っこを求めてくる時も、大人の手の中の安心あるせまーい場所に入ってきます。狭い場所を求めるのは、こうやって観ると子どもたちの本能的な欲求のようにも思えます。
「せまーい」は、そういった子どもそのものが、物語の中に存在する絵本です。
子どもたちがいいなーと思う絵本は、そういう絵本です。
子どもたちと共に読む中で、子どもたち自身も「自分がそこにいる!」と発見できるような絵本は、共感性の高い物語となります。
そして、それを自分の大好きな大人が一緒に読み楽しんでくれることは、子どもたちにとって「この人は本当に僕たちが大好きなんだな」という感覚にもなります。
そして、共に読み合う友だちとも「私たちってこうだよね!」と感じ合います。
絵本を子どもと読む時、そういった色々な共感性が重なり合い、混ざり合っていき、子どもの内面性をより豊かにしてくれます。
心を通わすということは、そういった物語の共感性から生まれることがあるのです。
さて、最初の倉橋先生の言葉に戻ります。
この絵本を読んだときに、最初に浮かんだ理由は、この狭いところに潜り込むことが、実際困ってしまう大人がいるからでしょう。
止めてしまう大人もいるからでしょう。
集団生活の中では、子どもにしてほしくないことが存在するのが現実でしょう。
それは、ケガをさせたくない、命を守らないと、機嫌良く過ごしてほしい、という素直な保育者の願いがそこにあるからでしょう。
そういった大人の願いや都合も分かるのです。
しかし、そこで一歩保育者として進むには、まずは子どもにひきつけられ、この子がしたいことを喜べる保育者でありたいと思うのです。
そこからが保育者としてのスタートなのかもしれません。
子どもたちの名のない遊びにひきつけられ、それを保障していくこと。それは、名前のつかないような行為でも、大きな意味ある価値ある姿だと思うのです。
「せまーい」のような絵本を読むことも同じく大きな意味ある姿ではないでしょうか。
執筆者
松本崇史(まつもとたかし)
社会福祉法人任天会 おおとりの森こども園 園長。
鳴門教育大学名誉教授の佐々木宏子先生に出会い、絵本・保育を学ぶ。自宅蔵書は絵本で約5000冊。
一時、徳島県で絵本屋を行い、現場の方々にお世話になる。その後、社会福祉法人任天会の日野の森こども園にて園長職につく。
現在は、おおとりの森こども園園長。今はとにかく日々、子どもと遊び、保育者と共に悩みながら保育をすることが楽しい。
言いたいことはひとつ。保育って素敵!絵本って素敵!現在、保育雑誌「げんき」にてコラム「保育ってステキ」を連載中。