はじめに
いつも絵本を子どもたちに届けてくださり、ありがとうございます。
福音館書店は1956年の「こどものとも」創刊以来、65年以上に渡り月刊絵本を刊行し続けて参りました。
時代は変わり、人と人とのコミュニケーション方法が大きく変わりましたが、絵本の大切さは変わらないと思っています。
今日でも多くの園の先生によって当社の月刊絵本が保育の現場で活用され、子どもたちの育ちに寄り添い、園と家庭とを結んでいるという事実。
毎号毎号を手に取り、子どもたちと一緒に楽しんでくださる多くの先生方がいらっしゃるからこそ、数千にものぼる「新しいお話」を世に出すことができたのだと実感しております。
月刊絵本が保育にどう活かされ、子どもたちはどのように絵本の世界を楽しむのか。
この連載では、月刊絵本を保育に取り込み、子どもたちの変化を日々感じながら園長として保育に関わっている松本崇史先生に、月刊絵本の魅力を紹介いただきます。
それではどうぞ、お楽しみください。
こどものともひろば 運営係
『とうげのオイノ』(こどものとも2023年2月号)―神妙な物語―
絵本は様々な役割を担っています。
その中でも、絵本として最初から重要視されてきたのが「物語」です。
物語にも、いろいろな役割が今与えられています。
笑い、ユーモア、ナンセンス、昔話、生活の絵本、乗り物、動物、虫など、それは多種多様なジャンル、登場人物がおり、一概に物語絵本とは何かを説明することは難しいことでしょう。
その中で、物語として価値があると思われるのが、「こどものとも」2月号の『とうげのオイノ』です。
まさに「神妙」な物語がこどもたちのもとに届きました。神妙の意味は、大きく3つあります。
1つめは「不思議なこと」。
2つめは「立派で感心なこと」。
3つめは「態度がおとなしい様子」です。
さて、今回の「とうげのオイノ」のような物語は、この神妙さを生み出してくれます。
とうげのオイノのあらすじは、
『ある朝、いちろうは、穴に落っこちたオオカミの親子を見つけ、じいちゃんと一緒に助けてあげました。その後、ふたりは、そのオオカミと思いがけない再会を果たします。狂犬病のような、何かに取り憑かれたようなオオカミに襲われそうになった時に、そのオオカミに助けられるのです。明治時代の東北地方を舞台に、いまは絶滅してしまったニホンオオカミと人間の、最後の交流を描いたお話。』
と書かれています。
最後と書かれている通り、今は絶滅したとされるニホンオオカミと人間の交わりを描いた物語です。どこか常に不気味さとも言える空気をまとって物語が続きます。
オオカミの見つめる目からも読者に多様な感情をぶつけてきます。
逆に登場人物の人間の表情はほぼ見えず、その物語の瞬間、瞬間にうずまく恐怖、不安、神秘性、不思議さなどを自分自身でイメージし続けるしかありません。
年長児に読んだ時のこどもたちの表情を観ると、まさに「神妙な面持ち」です。
絵本が持つ雰囲気とこどもたちが持つ雰囲気が同じ言葉で重なり合います。「神妙」な物語が、「神妙」なこどもたちの様子となっていくのです。
これは、まさに共鳴であり、共感であり、そこに物語の大きな価値があります。
昔の月刊絵本でも『ことろのばんば』『なおみ』など、そういった神妙さや不思議さや霊的な物を感じられる物語がありました。
『ことろのばんば』なども子どもを盗る山姥の世界に入っていく主人公の不安感や緊張が存分に伝わり、こどもたちは真剣に、神妙に聞いてくれます。絵も『とうげのオイノ』と似た雰囲気と力を持っています。
こどもたちはそういった物語と出会った時は、何か感想がとびだしてくるわけでも、大きな満足感に包まれるわけでもなく、今自分たちの出会った物語とはなんだったのか、どこの世界なのかと、自分が別次元にいるような感覚さえ覚えている様子の子もいます。
このような物語に出会う価値はなんでしょうか。
保育者が絵本を選ぶ時はどうしても「楽しい」「面白い」「好きなもの」「感動的なもの」「泣けるもの」「道徳的なもの」を求める傾向にあります。
その先にある目に見える効果を期待するからでしょう。
それでは、『とうげのオイノ』のような物語と出会う意味はなんでしょうか。
正直、それは個人によって変わるものかもしれません。しかし、私自身はこういった「神妙」さに出会えることは、人としての感情を育てるものとして重要と認識しています。
目に見えない何かがこの世の中にはあり、そこには自分にはどうしようもないこともあるかもしれない。
それはまさに自然などへの驚異と敬意に似ていると思います。
人間は自分勝手だけでは生きていくことはできません。経済的には可能かもしれませんが、その人の持つ精神性の豊かさ、人間としての豊かさはそこにはでてきません。
物語は、今これだけ全自動に生きることができる現代において、貴重な感情や間接的な体験を与えてくれるものです。
しかし、保育者も保護者も日々の忙しさの中で、このような神妙さを感じる体験をもたらす絵本を選ぶことは難しいものがあります。
月刊絵本というシステムがあるからこそ、出会わせることが困難だった物語にこどもたちも保育者も保護者も出会うことができ、心から通じ合うことができるのです。
絵本とは感情教育と言われることがあります。
絵本の読み合いは、その後に生まれる効果も大切かもしれませんが、同じくらいその読み合いの時間に生まれる心の動きそのものを大きい価値があるものと認識すべきだと思います。
そして、それが長期的にみたときの大きな教育的価値になるのではないでしょうか。
なぜならば、乳幼児教育とは、どこまでいっても人間を育てるものだからです。
執筆者
松本崇史(まつもとたかし)
社会福祉法人任天会 おおとりの森こども園 園長。
鳴門教育大学名誉教授の佐々木宏子先生に出会い、絵本・保育を学ぶ。自宅蔵書は絵本で約5000冊。
一時、徳島県で絵本屋を行い、現場の方々にお世話になる。その後、社会福祉法人任天会の日野の森こども園にて園長職につく。
現在は、おおとりの森こども園園長。今はとにかく日々、子どもと遊び、保育者と共に悩みながら保育をすることが楽しい。
言いたいことはひとつ。保育って素敵!絵本って素敵!現在、保育雑誌「げんき」にてコラム「保育ってステキ」を連載中。